1969年~1975年 創業期
1969年5月
⚫︎社長就任 西河勝男
⚫︎京都市山科区にて株式会社暁電機製作所設立。資本金220万円
⚫︎社長以下7名のスタッフにより、主に分析機器メーカの協力工場としてスタート
草津工場 地鎮祭
1973年
⚫︎マイクロコンピュータ技術の企業化と応用製品開発に着手
⚫︎システムハウス業をスタート
1974年
⚫︎会社設立5周年。草津工場を開設
⚫︎重量測定装置の生産を開始し、計測装置の技術基礎となる
創業当初は、分析器メーカーの協力企業として材料支給でペンレコーダ、フォトマル、温調器等の組み立てや調整、検査を請負っていました。
京都市山科区音羽町の住宅街にあった縫製作業のために改装された民家の後を借り、組み立てや調整作業は板張りの作業場で行っていましたが、時々針が落ちているような、夏は暑く冬は寒い工場でした。
お取引先様からは「暁さんは社員が少ないのに、部署を分けてきちんとやっておられますね!」との高評価をいただくこともあり、総務、営業、資材、製造と各セクションにキーマンがおり、役職こそありませんでしたが、お客様から安心いただける体制となっていました。
暁電機製作所の歴史の中で、もっとも大きなターンニングポイントは、1973年からのマイクロコンピュータ技術への挑戦です。
これまでの下請けだけの企業では将来はない、と1971年技術部を発足し、さらに2年後には将来を見据えてマイクロコンピュータ技術習得に投資(人、資金)をしました。
当時社長の西河勝男が、専門誌(トランジスタ技術)等で掲載されていたマイクロコンピュータ(インテル8008、4004)に注目し、次はこれだと決断したのです。
社内から4人の精鋭が選ばれ、マイコン技術習得のため、当時としては高額な1回5万円×10回コースで専任講師に講座をお願いし、支払いは月賦にしてもらいました。
4人がマイコン技術を習得している中、社長の西河はマイコンを応用して設計、開発できる製品を受注するため、懸命に営業活動し、その結果「天秤+ラベルプリンター」を受注。マイコン応用機器製品第一号を開発生産しました。
納入価額(開発費含む)250万円、CPU インテル8008でシリコンの原石を袋詰めされたものを天秤で重量を測定し、小計と合計を演算し、ラベルプリンターで印字する装置です。
これを機に下請け仕事から脱却し、多くのお客様から開発委託、生産委託を受けてマイクロコンピュータシステムハウス業としてスタートしました。
著者 内藤富雅